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コーヒードリッパーを買って、人間らしさを取り戻す。

お金をかけずに楽しむ

私たちはコーヒーが好きだ。

最近、コーヒードリッパーを買ってみたが、これがすばらしい。

今までは、安いドリップバッグのコーヒーで済ませていたが、近所の焙煎所で豆を買って、新調したコーヒドリッパーでいれることにした。

はっきり言って、ドリップバッグに比べて割高だし、豆を頻繁に買いに行かないといけないし、コーヒードリッパーを洗うのも面倒だ。

それでも、私たちは、コーヒードリッパーを買ってよかったと思っている。

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「効率」の悪いコーヒードリッパーがなぜすばらしいのか。

人間は常に「効率」を意識している。

特に、私たちも含めた子育て世帯は、家事・育児のタスクが膨大だから、効率よく物事をこなしていかないと生活が成り立たない。

効率の良さを求めるのが身に染みてしまって、常に、あらゆる物事に「効率」の矛先を向けてしまう。

そもそも、人はなぜ「効率」を求めるのだろうか。

私は人が「効率」を求めることの根底には、未来志向があると考えている。

今を効率良く生きるのは、未来のためだ。今のタスクを効率良くこなせば、未来に時間が生まれる。

効率を求めるのは、未来の自分に時間をプレゼントするためなのだ。

未来のために効率良く生きることは重要なのだろうが、私はそもそも、未来志向に疑問を持ってきた。

人間は人生において、否が応でも「将来のために」生かされる。

小学生くらいまでは「将来のために」と考えることは少ないかもしれないが、

中学生くらいになると多くの人間が、受験というイベントにおいて「将来のために」頑張ることを経験する。

私は周りから、口酸っぱく「将来のために」なんて言われる度に、こう考えた。

・中学生は、良い高校に合格するために、頑張って、、、

・高校生は、良い大学に合格するために、頑張って、、、

・大学生は、良い企業に就職するために、頑張って、、、

・サラリーマンは、豊かな老後のために、頑張って、、、

「人はずっと将来のために頑張るけど、それっていつまでやるの?」と。

そして、「もし、死ぬまで将来のために頑張り続けたら、人生、死ぬために頑張っているようなもんだ。」屁理屈じみているが、子どもながらにそう思ったものである。

日々、死に向かって効率だけを求めて生きるなんて、まるで機械みたいではないか。

スパコンが何やら計算の速度を競っているけど、人間もスパコンのように効率を追い求める必要はあるのだろうか。

楽しいことは大抵、「非効率」で、全く「未来志向」ではない。

「仲間と楽しくて飲みすぎちゃったぜ。」なんてのは、二日酔いで次の日を棒に振ってしまって、「非効率」だし「未来志向」の真逆だ。

でも、そんなのも、人間らしくて素敵ではないか。

人間、今を楽しむことも必要だ。

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一服の「非効率」を

話をコーヒードリッパーに戻そう。

コーヒードリッパーは、「非効率」の極みだ。

お金も時間もかかるし、私の舌では「何となく、美味しい気がする。」くらいの感想しかない。

でも、抽出されるコーヒーの雫がポタポタと垂れる様を眺める時間が、何とも心地いい。

何だか、今を生きている気分になれるのだ。そして、人間らしさを取り戻した気がするのだ。

日々、効率的に頑張るなかで、一服のコーヒーの様に、一服の「非効率」が必要なのだ。

人生、「非効率」も大切にしたいものだ。

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