子どもとの朝ごはんは一苦労
子どもがいると朝ごはんも食べるのも一苦労だ。
自分だけだったら、
朝ごはん抜いてしまうか。
と逃げることもできるが、子どもがいたらそうはいかない。
重い腰を上げて、めんどくさい気持ちに鞭打って、朝ごはんを用意しても、子どもは思うとおりに食べてくれない。当然のように食べこぼしはするし、不運にも牛乳を床にでもぶちまけられでもしたら、この世の終わりのような気分になる。子どもも悪気はないわけで、誰を責めるでもなく、ただひたすらにやるせない。
最近、ちょっとしたラクを見つけた。
朝ごはんにパン屋さんで買ったパンを公園で食べるのだ。
今は夏真っ盛りなので、前日のうちに買っておいて、7時前くらいに家族揃って公園に繰り出す。世間で言うところの「朝活」といった感じのことをやっている。
子どもも気分が変わるのか、外で食べるパンは不思議と綺麗に平らげてくれる。後始末は、ゴミをまとめて持って帰ることくらいだから、なんと気が楽なことか。
思いのほか充足感あり
そして、「パンを買って公園で食べる」だけなのに、充足感が得られるのだから最高だ。
公園まで歩いて少し火照った体に風が当たると、何とも心地よい。
エアコンの涼しさに慣れ切っていればいるほど、自然の風を浴びることが快感になる。
人によっては、貧乏臭いと思うかもしれないが、私たちにとっては最高の贅沢だ。
白金台のシャレオツなレストランでモーニングするのもいいが、こちらも好きだ。
セミリタイアに向けての気づき
私たちは、セミリタイアを志向している。
少なくとも、今のサラリーマンという働き方からオサラバして、ゆるゆる生きていこうと思っているわけだ。
セミリタイアは、トレードオフだ。
セミリタイアしたらサラリーマンのときのように、お金を使うことは難しくなるだろう。
それこそ、白金台のシャレオツなモーニングだって、たまの贅沢になるだろう。
それでも、私たちはセミリタイアを志向すべきだと確信することができた。
イソップ寓話の「酸っぱい葡萄」のような痩せ我慢、正当化ではなく、
心から「パンを買って公園で食べる」ことが楽しい自分たちは、やはりセミリタイアを目指すべきだと。だって、これがいいのだから。
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