スポンサーリンク

家族を持つ意味について

スポンサーリンク

巷に溢れる「独身貴族vs家族持ち」論争

気付けば結婚し二児の親にもなり、自分の家族というものを持つようになっていた。

ふと、家族を持つ意味とか、家庭を築く意味ってなんだろうと考えることがある。

よく、独身貴族vs家族持ち、なんて言う論争を目にする。

独身は自分の稼ぎを自由に使えるし、自分の時間のほとんどを、趣味だったり自分のために費やすことが可能だ。

その一方で、家族持ちは、「家族と一緒に過ごす時間は幸せ。」だとか、「子どもの成長を見守れることは素晴らしい。」とか言ってみたり、どちらが幸せかという議論に夢中になる人も少なくない。

あらかじめ断っておくと、私はどちらも大差ないと思っている。それぞれ良い点もあれば悪い点もある。当たり前のことだ。

私は結果として、家族を持つ身となったが、独身という生き方を否定する気は全くないし、「人間は家族を持つべきだ」なんて説教臭いことを言うつもりもない。

その上で、家族を持ったものとして、家族を持つ意味を考えてみた。

思ったことは、家族は老いを共有してくれる存在であるということだ。

人間、誰しも老いる。自分も最近、白髪が生えてきたし、顔のシワも増えてきた。

鏡を見るたびに、時間が遡って若返ることはないことを知らされる。

子どもの頃は楽しみでたまらなかった誕生日が、「また一つ歳を取ってしまった。」と影を落とすようになってくる。

そんなとき、家族は、自分が歳を取れば、一緒に歳を取ってくれる。

配偶者は自分が老いていく道のりについてきてくれるし、自分の分身とも言える存在の子どもは、成長を見せてくれる。

スポンサーリンク

人はなせ子どもを生むのか

もう一つ考えることがある。

「人はなぜ子どもを生むのか。」ということだ。

これも色々な考えがあるだろう。

「なぜ子どもを生むのか?(これから生むとすれば、なぜ?)」私は周りの人間に問うてみたことがある。

「自分と愛する人間から生まれてくる子どもを見てみたい。」とか「子どもとキャッチボールをするのが夢だ。」とか、どれも素晴らしい素敵な答えだ。

ただ、私の考えはちょっと違う。「生まれてくるその子のために、その子を生む。」それが私の考えだ。

人間が誕生するということは、きっと尊いことなのだろう。

親はもちろんのこと、祖父母、兄弟はその子の誕生を祝福し、彼(彼女)と生きることで喜びをもらうだろう。

反出生主義という、出生そのものを否定する考え方も存在するが、今回は深入りしない。)

例えば、私という人間が生まれ、私の両親を含め家族は喜びを感じてくれたみたいだし、祖父母は私をとても可愛がってくれたし、友人たちも私が存在することで、少なからず人生が豊かになってくれていると思う。

ただ、私が誕生したことによって、私は人生を得たのである。この世に生まれて来なければ、私には人生はなかったわけである。

人生が「ある」と「ない」では、雲泥の差である。私は、自分が生まれたことによって最も得したのは自分だと思っている。

「人間が誕生することは、誰にとって一番価値があるのか。」という問いに対しては、「その人自身にとって一番価値がある。」と私は考えるのである。

だから私は、「生まれてくるその子のために、その子を生む。」という発想をしている。

家族を持つということは楽しいことばかりではない、配偶者が口うるさく言ってくることもあれば、子どもが言うことを聞かないのは日常茶飯事だ。

独身時代のように、好きなときに飲めないし、不自由なことも多い。まさに「楽ありゃ苦もある」といったとことだろう。

だから、自分にとっては、独身だったとしても今のように家族がいても、自分自身の幸福度はそう変わらないと思っている。ただ、子どもは人生を得られてラッキーなので、その点は良かったのかもしれない。

スポンサーリンク

親の役目とは

しかしながら、この論理は子どもが「生まれてきてよかった。」と思ってくれないと破綻してしまう。

だから、私は、親の役目は「子どもが生まれてきてよかったと思えるように手助けすること」だと思っている。

良い大学に行かせるとか、優良企業に就職させるとか、そういった類のことにはあまり関心がない。

「生まれてきてよかったと思ってもらうには何をしてあげられるか。」これだけだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました