雨が嫌い
最近は雨が続く。真夏なのに不思議な天気だ。
雨ほど鬱陶しくて、私たちに面倒を与えてくるものはない。
最悪なのは、仕事がある日の雨だ。
まずは低気圧のせいで寝起きの気分が悪い。
仕事がある日は、晴れていたって朝は起きたくないのに、目が覚めたら雨ザーザーでなんて、もう最悪だ。
駅に向かう道中で革靴が雨が染みるにつれて、「なぜ、労働者は革靴を履かないといけないんだ。」「スニーカーで働いたっていいではないか。」と、仕事に対する不満が頭を駆け巡る。電車もいつもより混んでいるし、中に入ったらムシムシしているし、さらには隣の人の傘の雫で足が濡れたり、、、と、私は雨が嫌いだ。
一枚の絵を見て
大学生の頃だった。
恵比寿にある山種美術館を訪れ、奥村土牛(おくむらとぎゅう)という近〜現代の日本画家の展示を見た。
奥村土牛は、柔らかい筆使いと淡い色使いで、凛々しくもほんわかとした気持ちになるような絵を描く画家だ。
私は展示のなかで、一枚の絵と出会う。
「雨趣(うしゅ)」という題名の、雨の日の街並みを描いた絵だった。
ただ、その日は、「雨趣」を見ても特段の印象は受けなかった。
(たしか、女性のあどけなさと大人っぽさが同居している舞妓さんの絵を気に入った気がする。)
○ある雨の日に
それから程なくして、雨の日に大学の授業があった。
いつものように、憂鬱な気持ちで大学の最寄駅を歩いていて、ふと街並みに目を向けてみた。
すると、雨に霞む街並みが「雨趣」と重なって見えたのである。
そのとき、憂鬱でたまらなかった雨の情景に、少しだけ美しさを感じることができた。
「なるほど。これが美術を見る一つの意味なのか。」と思った。
美術作品の多くは、身の回りの風景や、花、鳥だったりが描かれている。
我々の日常には、気づかない美しさが隠れいている。その美しさを、作品が掘り出してくれるのだ。
あの日、私は雨を少しだけ好きになった。
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